オリンピックやWBCは4年に一度…
よりは少し短い間隔で開催される
東草津「江戸を喰らう」
1803年享和3年は、江戸幕府開府200年のメモリアルイヤー。
テレビでお馴染みの遠山の金さんコト「遠山金四郎」が10歳と年となります。
そんな1803年の食事を忠実に再現します。
江戸飯が完成するまでは、少しお勉強の時間…
「江戸道中膝栗毛ミニクイズ」にてご機嫌を伺います。
Q1:テレビドラマでお馴染みの庶民が暮らす長屋…一般的な間取りで家賃いくら?
Q2:遠山の金さんや大岡越前の奉行の年収はいくら?
Q3:当時江戸の街の人口は?※ちなみに当時イギリスロンドンは86万人
Q4:当時の庶民の平均寿命は?
Q5:当時の庶民は、一日御飯(玄米・白米等)お茶碗何杯食べていた?
等…
答えは後程「東草津日和見おまけ編集部」が答え合わせを行ないますね。
今回は、享和3年1月22日(土)の昼御飯を喰らって頂きます。
味の保証は…ありません(笑)
忠実すぎて…かもしれませんので覚悟の程を(笑)
東草津日和見
「江戸を喰らう」実行委員会
古のロマンを感じつつ、幕末や戦国時代が大好きで、調べつくしている東草津日和見軍師
							
							17:46:38						
 
						
						
						
												
						
						
							
							
							一年で一番寒い…と言われる…
今年24番目の「大寒」となりました。
本日をもって、2024年をぐるりと一周した「二十四節気彩孳喜庵」は、閉店となります。
一年間ありがとうございました。
二十四節気の特別食が始まり、7年が終了しました。
思えば7年前…「二十四節気歳時記庵立春」からスタートし、本日の「二十四節気彩孳喜庵大寒」まで…168回
※厳密に言うと、一度板長が、「コロナ濃厚接触者」の認定の為、外注弁当の事がありましたが…(包み紙は書いたので良し…とします)
7年間…続けられた事…
しょ~もない事かもしれませんが、
二十四節気の「サイジキアン」が「続ける事の大切さ」を板長に教えてくれました。
2025年…
情勢や状況により「サイジキアン」の存続が危ぶまれています。
だけど…
今迄以上の創意工夫と、知恵を使い…
2025年の二十四節気「サイジキアン」を続けられるよう…
皆さんに、目で・味で・匂いで・音で・肌で…感じて頂けるよう…
そして「食の楽しみ」を…
169回目「立春」でお会い出来る事を、楽しみにしています。
尚、「サイジキアン」は、継続の度、一年で閉店となり店名の漢字が一文字づつ変わります。
2025年の店名…お楽しみに…
東草津日和見
歳時記庵板長
彩孳喜庵板長
その昔、小学校の先生が卒業式の後、教室で泣きながら、最後に伝えてくれた2つの言葉…貴方の言葉…今も忘れていません。一つは「君が人生の時」そしてもう一つは「継続は力なり」。もうあの日のように、お酒を酌み交わすことも出来なく、「ゆう坊!ヤンチャやったチビが、大きなったな!」と髪の毛がくしゃくしゃになるまで撫でてくれた貴方とはもう会えないのに、何故かその言葉は今も生き続けて、その言葉を守ろうと必死に生きている東草津日和見軍師
							
							21:29:05						
 
						
						
						
												
						
							
						
						
							
						
							
							
							
本日は朝からとてつもない底冷え…
手元の温度計は「0度」…
送迎車両の出発確認に行くと、フロントガラスが凍てついていました…
こんなこともあろうかと、軍師「解凍剤スプレー」を事前に購入。
各送迎車両に配備…
軍師は、自分の担当車両だけではなく、他の職員の送迎車両まで、解凍剤スプレーで、フロントガラスをすっきり…
「暖気」も行う程の気の持ちよう…
軍師はそう!
やさしい人なんです(笑)
送迎担当の皆様…
今日も安全運転でお願いします。
東草津日和見
東草津日和見軍師
その昔、寒い朝には、石油ストーブの上のヤカンで沸かしたお湯を若干の水で冷まし、フロントガラスの氷が音を立てて溶けていく姿を見て、何故だか心まで温かくなるように感じていた東草津日和見軍師
「雪が降らず、積もらずで良かった…」と思う反面、「一年に1回は、積もってほしいかも…」と心の奥では、期待している雪深い所の出身である東草津日和見
							
							21:28:23						
 
						
						
						
												
						
						
							
							
							未曽有の大災害から30年
今年も「震災語る」が開催されました。
1995年1月17日…
尊い命失われ…
私たちは、大災害の恐ろしさをまざまざと知りました。
2025年1月17日…
動画では…
惨状を目の当たりにして、ただただ立ち尽くす人…
まるで映画のワンシーンのような、阪神高速の横倒し…
極寒で漆黒の闇の中、立ち上がる炎…
写真では…
毛布に包まり、明日を待つ人々…
瓦礫の中から、懸命に生存者を探す自衛隊の方々…
被災された方に温かい食べ物を提供しようと、必死に駆けつけたボランティアの方々…
声を掛け合い、お互い生存を確認し、生きていた事を称え合う人々
警察の方々…消防の方々…
エピソードでは…
上皇陛下・美智子様
震災発生直後から、迅速に機転の利いた対応と優しさに溢れる「神戸●●組」の組員や●長
誰よりも、命の尊さを知りながらも、次々と運ばれてくる患者に、無情の「選別」を行ない、日本の「トリアージ」の必要性をその後提唱しつつも、生涯1・17の「選別」に自問自答し続けた松田昌三医師
問題点としては…
当時危機管理が不十分だった時代、国と都道府県との連絡
ヘリコプター使用による報道の問題と規制
各都道府県からの消防応援に対して、消火活動の妨げ…
「火災保険」と「地震保険」の切り離し…
等…
14:00~の2時間…
2025年1月17日の「震災語る」の無事終了しました
東草津日和見
「語る」実行委員会
							
							22:05:21						
 
						
						
						
												
						
						
							
						
							
							
							明日1月17日で30年…
だんらんの家東草津では、年2回「語る」と題した催し物を行なっています
8月15日の「終戦語る」 
そして
1月17日の「震災語る」
今年で8回目…
今から30年前…
1995年1月17日 午前5時46分52秒
兵庫県淡路島洲本を震源とするマグニチュード7.3の直下型地震…
一瞬にして、神戸の街は悲劇に襲われました。
あれから30年…
徐々に風化していく地震の悲劇…
「語る」を毎年する事は…
「語り継がなきゃいけない記憶」「忘れてはいけない記憶」
そして、「哀しみも苦しみも明日に生きるみんなに残さなきゃいけない」
そんな思いで「語る」を開催しています
賛否両論がある中も、8年目を迎える「震災語る」
明日…14時から、だんらんの家東草津で開催となります。
東草津日和見
「語る」実行委員会
当時中学生だったが、朝TVを付けると、映し出される映像に、何が起きたか分からず…その日からNHKでは、安否の名前のテロップが流れる画面が永遠に流される中、どうか…あの大好きなおばちゃんの名前が画面に出ませんように…と祈り、TVの前に居た東草津日和見軍師
							
							23:26:11